ワークワークとかち | 十勝・帯広へのUターン、移住、就職情報 > 移住者の声 > 石川 伸子さん

移住者の声

東京に住んでいた時の経験を活かして、ライターの仕事をしています!

帯広市出身。京都の短大を卒業後、帯広で2年間働きその後東京へ。出版関係の企業で働きながらコピーライター養成スクールで学び、フリーランスのライターとして独立。2012年に帯広市にUターンした石川さんの帯広での生活とは?

 

十勝に戻ってこようと思ったきっかけは?

子どもが生まれて、北海道で子育てをしたかったというのが一番の理由です。実家が帯広なので、親の協力も得ながら働き続けたいと思っていました。孫に会える時間が増えるので、親も歓迎してくれました。

 

帯広での生活に不安はありませんでしたか?

東京が恋しくなって戻りたくなるんじゃないか? 帯広での暮らしがつまらなく感じてしまうのではないか? と、自分がどんな心の状態になるのかが不安でした。でも、十勝にいながら新しいことをやろうとしている人たちにたくさん出会いましたし、異業種の人たちとの出会いも増えて交友関係が広がっていったことも刺激になりました。いつも新鮮な気持ちでいられるのは、周りの人たちのお陰ですね。

 

移住後もライターの仕事を継続していくためのコツは?

私は主に健康やグルメ、観光などのテーマに沿った記事を書いて、メールで原稿のやり取りを行う仕事をしているのですが、こまめに連絡を取り、年に一度ぐらいは発注元の会社に顔を出したり同じようなフリーランスの方と会って情報収集したりしています。とはいっても東京の新規の仕事は取りにくいので、収入が減る前に十勝でもライターとして収入を得る方法を模索していて、常にアンテナを伸ばしています。UターンやIターンを機に職場はもちろん、仕事内容も大きく変わる方もいると思いますが、私は仕事の基盤を変えることなく帯広での生活をスタートさせることができたので、すごく良かったと思います。

 

これから移住を考えている人へメッセージを

今振り返ってみると、東京にいた頃は毎日とても疲れていました。いつも身体に力が入っているような暮らしを送っていました。自分から予定を詰め込んで、忙しくしてしまっていたのかもしれませんね。でも、十勝の暮らしはとてもコンパクトにまとまっています。選択肢がいくつかに限られているので、あまり考える必要がなくて、私にとってはシンプルに生きられる場所です。例えば小児科も近場には数えるほどしかありませんし、小学校から私立にしようか? なんて考える必要もありません。それがとてもラクです。収入が減ることに不安を感じる方もいると思います。私の場合は、東京で一番稼いでいた頃と比べると収入は半分近くになりましたが、毎月貯蓄できる金額はさほど変わりませんでした。十勝の物価はそれほど安いとは感じませんが、東京では疲れ切った自分にご褒美として高級ホテルに泊まったり、高いランチを食べたりと余計な出費が多く、十勝に戻ってからは散財する事が無くなった、というのが大きな理由です。高校生まで帯広で暮らしていた私でさえ、戻ってきてからは、十勝ってすごくキラキラしていて、空の広さや、日高山脈の美しさに感動するんですよね。今では、たとえ子どもとの生活を考えなかったとしても、十勝で生きることを選択すると思います。

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