酪農王国十勝。チーズがおいしいのには理由があった!
凝固させた乳を発酵させ、さらに熟成させてつくるナチュラルチーズ。十勝がチーズ王国として有名になったのは、ここ十数年のお話。でも時間をかけてゆっくりと、着実に、ここまで進んできたのです。これまでの発酵期とこれからの熟成期。その歩みを一つずつ紐解いてみました。
国内シェアの3分の2を占める十勝のナチュラルチーズ
国内で生産されるナチュラルチーズのうち6割以上が十勝で生産されています。知名度のみならず生産量でも圧倒的なシェアを誇っているのです。国産ナチュラルチーズの生産量・消費量はともに年々増加し続けており、平成24年度はいずれも過去最高を記録しました。今後も市場拡大が見込まれる商品として、大きな期待が寄せられているナチュラルチーズ。意外にも日本人の舌に合う製品ができるまでには長い時間を要しました。
十勝に相次いで誕生した乳業メーカーの工場
日本チーズの幕開けは明治初期。古代から脈々と続いてきたヨーロッパのチーズと比較するとその歴史は浅く、本格的に生産が始まったのは戦後になってからでした。元来ヨーロッパでつくられてきたチーズは、発酵期間にともなって味が変わり、それを楽しむもの。味の変化を「腐った」と認識してしまう日本人の嗜好には合いませんでした。しかし、1980年代に変化が生じます。ピザやチーズケーキがブームとなり、チーズの消費が飛躍的に伸びたのです。以降チーズは市民権を獲得し一般家庭にも身近な食品となりました。すると、大手乳業メーカーは当時から酪農王国だった十勝に目を向け始めます。既に大樹町でチーズの生産を行っていた雪印を筆頭に、明治とよつ葉が相次いで十勝管内で工場の操業を始めました。
牛乳離れと廃棄問題を解決する手段として
90年代に入ると、チーズの消費はさらに加速します。食卓の欧米化も要因の一つですが、避けては通れない「生乳廃棄」の実状がありました。若者の牛乳離れが深刻化し、牛乳や乳製品の消費がひどく落ち込んだのがおよそ10年前。どれだけ消費が減っても牛は毎日乳を出し続けます。当然在庫は膨れ上がって、過剰になった生乳の生産に「調整」という形でストップがかかってしまったのです。酪農家は出荷上限を定められ、超えた分については廃棄をせざるを得ませんでした。とはいっても牛は生き物。乳は毎朝毎晩搾らないと病気になってしまいます。酪農家は生活を維持するため手塩にかけた牛を手放したり、自らの手で搾った牛乳をふん尿に混ぜて堆肥化するなど、屈辱的な選択を余儀なくされました。そんな中、着目されたのが乳製品で唯一消費量が伸びていたナチュラルチーズでした。「廃棄をしなくてもいいかもしれない」。生産者や加工業者はチーズ向け生乳に希望を見出したのです。
北緯43度が生み出す奇跡
現在十勝管内にはナチュラルチーズ製造の大規模工場が3つあるほか、中小規模のチーズ工房が19と道内で最も多い地区としても知られています。その理由の一つが、十勝の位置する「北緯43度」という土地柄。ほどよく冷涼、乳製品にとって居心地がいいと言われるのが北緯40~55度で、ヨーロッパのチーズづくりが盛んな地域も同緯度にあります。熟成に適した気候が十勝ナチュラルチーズを後押ししたのです。さらに管内に十勝川、札内川、歴舟川と清流が多数あることもポイント。チーズづくりには多量の水を使うので水が美味しい、きれいであることが必要不可欠なのです。
必然と偶然が重なりあって成長してきた十勝のナチュラルチーズ。生産量もさることながら、その品質の高さがブランドとしての評判を高めてきたのです。